もりの作文

文章練習ブログ

しずかちゃん、サイヤ人説

ラジオで知ったのだが、ジャイアンというのは、ジャイ子のアン(兄)ちゃんだから、ジャイアンなのだそうだ。知らんかった。ジャイ子というのは本名ということである。

 

親はどういうつもりでそんな名前をつけたのか? 巨人軍ファンなのか? それともジャイアント馬場のように大きく育ってほしいという願いからか? はたまた、亀田興毅の「どんなもんジャイ!」からとったのか? 理由はどうあれ、よく市役所が受理したものだ。

 

ジャイ子の話は横においとくとして、ジャイアンというあだ名は、日本では、子供から大人まで慣れ親しんだビッグネームである。彼の写真をパネルにして、「この人の名前は?」ときくと、しらない人をのぞけば、ほとんどが「ジャイアン」と答えるだろう。ところが、ドラえもんの主要キャストで、一人かたくなに、彼のことを「たけしさん」と呼んでいる少女がいる。そう、誰あろう、しずかちゃんだ。

 

なぜ、彼女は「ジャイアン」とよばないのか? 気に入らないのか? あだ名で呼べない症候群なのか? しょっちゅう、いっしょに冒険してるんだから、気安く呼べばいいものを・・・と、ここまで書いてきて、たった今、彼女はドラえもんのことも「ドラちゃん」と呼んでいることを思い出した。

 

つまり、しずかちゃんは①相手をあだ名で呼ばない②相手に対して「さん」や「ちゃん」と敬称をつける、という2点をポリシーとしていることが考えられる。

 

確かに彼女のポリシーは、呼び名における不必要なトラブルを避けることには非常に有効である。たとえば、自分では結構仲良くなったなあと思った相手に「何いってんだよ~。田中~」と言ったところ、「てめえ、呼び捨てにしてんじゃねえぞ!」とぶちぎれられて、ケンカになることは多々あるし、また、いくら慣れ親しんだあだ名でも、本人は意外と内心、傷ついているケースもある。しずかちゃんのポリシーならば、それで、もめることはないだろう。

 

しかし、逆に「さん付けはやめてよ。よそよそしいよ」と相手に要求されたとき、しずかちゃんシステムは、非常に厄介になるのではないか。

 

たとえば、しずかちゃんが、みちょぱと友達になったとする。当然、しずかちゃんは彼女のことを「美優さん」あるいは「池田さん」と呼ぶであろう。「もう~、よそよそしいよ~。『みちょぱ』でいいよ~。しずかっち~」と、みちょぱが言っても、「いいえ。そういうわけにはいかないわ。美優さん」と断るだろう。「あだ名がいやなら、『美優』って呼んでよ。私も『しずか』って呼ぶから」と言っても、「いいえ。そういうわけにはいかないわ。美優さん」と断固、拒否るだろう。「『美優』って呼んで!」と怒り出すみちょぱ。「絶対、呼ばないわ。美優さん」としずかちゃん。「呼べ!」と命令するみちょぱ。「嫌よ。美優さん」としずかちゃん。

 

こんなやりとりを10分ほど、繰り返した後、「もういい!」と叫んで、みちょぱは席を立つだろう。そして、「なんだよ、あいつ! 絶交だよ絶交!」と声を荒げながら、テレ朝の廊下をどしどしと歩いていくのだろう。しずかちゃんのように、育ちも良くなく、品性も備わっていない、みちょぱなら、きっとそうするにちがいない(僕の中のみちょぱのイメージ)。

 

かたくなに、ジャイアンのことを「たけしさん」と呼び、みちょぱのことも「美優さん」と呼び続ける彼女の姿勢は、地球に住み始めて、もう何年もたつのに、いまだに、悟空のことを「カカロット」と呼び続ける、ベジータと同じくらいの、鉄の意志を感じられる。

 

しずかちゃんはもしかしたら、サイヤ人なのかもしれない。