もりの作文

文章練習ブログ

4コマブログの神様

今日の休憩時間。会社のパソコンで、ブログザッピングしとったら、こんな4コマ日記を描いてる人を発見した。

 

①太ったため、お気に入りのスカートが入らなくなった→②洋服屋に買いに行く→③いい服は値段が高いのばかり→④「ダイエットがんばるぞ」と決意する。

 

チコちゃんならば、「もっと話をふくらませろや! 三流芸人!」と叱り飛ばすようなオチである。まあ、もっとも素人の描く4コマなんて、大体、こんなものである。オチなし、ヤマなしは当たり前である。笑いを期待する方が間違っている。だから僕は、「ああ、もうちょっと面白いの描かないと人気出ないよ」とつぶやき、他のブログに移動しようとした。が、次の瞬間、とんでもないものが目に入った。

 

なんと、コメント欄が、絶賛の嵐なのである。「爆笑しました」とか「笑いが止まらず、おなかが痛くてたまりませんでした」等々、信じられんことが山のように書き込まれているのだ。おまけに「いいね!」も山ほどついておるのだ。

 

断っておくが、このマンガは絵で笑わす手合いではない。ふつうの、ほのぼのとした絵である。ヘタウマでもない。なのに、こんなベタ中のベタオチで爆笑している読者が山のようにいるのだ。

 

お前ら、これまでの人生で笑いに触れたことないのか? キングオブコントとかみたことないのか? もしかして、全員十代か? いやいや、はしが転んでもおかしい年ごろでもこのオチでは笑えんだろ。狂ってる。こいつら、全員、狂ってるよ!・・・と、思わず、叫びそうになった僕であったが、いや、まてまて。もしかしたら、これは流れというのが、あるのかもしれんなと考えた。

 

つまり、「ダイエットシリーズ」みたいなんがあって、例えば、①好きな男ができた→②その男は桐谷美玲がタイプと知る→③「桐谷めー」→④「ダイエットがんばるぞ!」という話が他にもあるのかもしれない。だとしたら、あのしょーもないオチも「いやいや、今回は普通なんかい!」みたいな感じで大爆笑できたんかなあなどと、好意的に解釈した。

 

だから、他の話も見てみた。ところがだ! 他も全部、糞みたいなオチばかりなのである。

 

例1:①ラーメン屋に行く→②味がうすい気がする→③コショウをかける→④「ハクション!」とクシャミをする。

 

例2:①出かけようとする→②クツが片方ない→③犬がくわえてるのを発見→④「まてー」と犬を追いかける。

 

・・令和2年。誰がこんなオチで笑えるんじゃタコ!と僕はパソコンの画面にツッこんだのだが、どれもこれもコメント欄は絶賛の嵐なのだ。「おもしろすぎて、ラーメンを食べるたびに思い出してしまいます」「犬との追いかけっこ、最高でした」「笑いすぎて、アゴが外れそうになりました」云々。

 

口あんぐり。わしゃ、違う意味でアゴが外れそうになった。お前ら、全員、笑い袋か? それとも、褒め殺ししてんのかお前ら。みんなで、彼女をだめにしたいのか? もういい勝手にやってろ!と内心、叫んだところで、休憩時間が終わったので、パソコンを閉じた。

 

ところが、ふしぎなことがおこった。そのあとの仕事中、あのブログが頭から離れないのである。面白くもなんともない、お笑い的に0点の、あの話の数々が、頭に浮かんで、仕事に手がつかないのである。

 

これはあれである。2017年のキングオブコントで披露された、にゃんこスターのなわとびのネタと一緒である。「さくらんぼ」の1番のときは、アンゴラ村長のダンスに否定的だった3助が、2番になると、なわとびよりもダンスに夢中になってしまう、あれと全く同じ現象である。

 

わかった。あのブログの読者は全員、洗脳されたのである。つまり、僕が触れたのは、彼女のブログをご神体とした、新興宗教だったわけである。明日の今頃、僕は彼女のブログのコメント欄に「爆笑しました。弟子にしてください」と書き込んでいる自信がある。そう、断言できる。まったく、とんでもないブロガーが世の中にいたもんだ。

 

 

 

 

 

なぜ今、冬物を売るのか問題

未成年女性との飲酒が原因で山Pと亀梨の2人がジャニーズ事務所から処分された。山Pは、活動自粛。亀梨は厳重注意との事だ。だが、この女性は「私、20歳を過ぎてまーす」とウソをついていたので、だまされた2人は本当に気の毒である。持ち帰り報道のある山Pは多少のペナルティはやむなしとして、亀梨の方は、おと亀梨、もとい、お咎めなしでもいいと思う。

 

テレビのワイドショーは連日、この問題を取り上げている。「もういい。やめろバカ」とテレビに向かって吠えとったら、もっとバカな事がテレビで起きとった。

 

先日のこと。テレビをザッピングしていたら、某通販番組で、なんと冬物のコートを販売しとったのだ。ファーのついた、見るだけで暑苦しい冬物のコートを着たモデルが、ニッコリ笑顔で腕を腰にあてたりなんかして、いろんなポーズを決めておった。その横でナビゲーターと称する、おばさんが、同じ冬物コートを着て、「いかがですか。このコート。真冬の寒さも十分しのげます。ぽかぽかですよ」と、アッピールしまくっておったのである。

 

わしゃ、最初、ガマン大会やっとるのか思うた。浜松では41.1度の観測史上最高を記録したというのに、なにをやっとんのじゃ? こんなクソ暑い日本列島で、誰に向けて、放送しとんのじゃ? ガマン大会を企画しとる奴に「どうです?」ゆうてんのか?あいにく、奴らはオシャレなど追求しとらんわい。

 

昔、鶴瓶が大アフロヘアーで活動してた時、夏場になると、「見てるだけで暑苦しいんじゃ! 切れ!」と抗議の電話がテレビ局に殺到していたという話があるが、はじめて、その気持ちがわかった。

 

もちろん放送している以上、ワシには想像もできんニーズがあるのだろうが、んなこたあ関係ない。冬物のコートをテレビで販売するのは、10月以降にしろ! 山Pより自粛が必要なのは、お前らじゃ! と、厳重注意したい。

 

 

 

 

ナギサさんと参観日の思い出

「私の家政夫ナギサさん」の第6話を見た。驚くべきことに今週もメイは田所に対し、「あの人(ナギサさん)は父です」と虚偽説明をしとった。「お母さんと比べて、ずいぶんお若いですね」と田所が言っても、「年の差結婚なんです」と言い張っとった。

 

確かに「家政夫を頼むズボラな女」と、思われたくないメイの気持ちもわかる。僕にも似たような経験がある。あれは僕がまだ小学生時代の授業参観の時の話だ。

 

参観日の授業と言えば、どこの学校でも完全によそいきの授業を行うものである。うちのクラスも、多分に漏れず、平常時と違って、みんないっさい、私語をすることない、まじめな授業が進められていた。そんな非日常の最中、もっと非日常の事件が起きた。突然、教室の前のドアがガラガラとあいて、なんと、僕の母が入ってきたのだ。当然、みんなの視線は母に注がれた。すると、母はペロっと舌を出して、「あっちゃあ~。うしろと間違えてしもうた~」と言った。

 

次の瞬間、教室は大爆笑に包まれた。で、ふつう、うしろのドアから入りなおすのに、僕の母は、そのまま前進し、机の間を「はいはい。ごめんなさい。ごめんなさいね~」と言いながら、うしろへ移動していったのである。あまりに笑いが止まらないので、先生がとうとう「はーい。みんな静かにー」と注意し、ようやく収まった。僕は恥ずかしさで、顔から火が出まくった。あまりに火が出たので、あやうく教科書が燃えそうになった。

 

授業終了後、クラスメイトが「あれ、おまえの母ちゃんだろ」と僕に言ってきた。僕は「ち、ちがうよ。なにいってんだよ」と否定したが、「うそつけ。お前んち行ったら、いつもあのおばちゃんいるじゃねえか」と言われたので、「あ、あれはうちで雇ってる家政婦だ」と、うそをついた。(つまりメイがナギサさんを父だと言ってるのと、逆パターンだ)。ところが、クラスメイトの追求は田所のように甘くなく、「お前んち、ビンボーじゃねえか。ボロボロのアルトに乗ってるくせに、家政婦を雇う金なんかねーだろ。なんなら、放課後、みんなでお前んち、行ってもいいんだぞ」とまで、言われた僕は、とうとう降参し、「テッテレー。実は僕のお母さんでした~」と泣きそうな声で、白状してしまった。

 

僕のうそは5分と持たなかったが、メイのうそは来週でとうとう7週目に突入する。メイはゴマカしきれていると確信しているようだが、田所の「腑に落ちない感」は、週ごとに増幅している。どうするメイ? まさか、最終回まで逃げ切れると思ってはあるメイな?

 

おあとがよろしくないようだが、来週もメイの動向に注目だ。

 

 

 

 

しずかちゃん、サイヤ人説

ラジオで知ったのだが、ジャイアンというのは、ジャイ子のアン(兄)ちゃんだから、ジャイアンなのだそうだ。知らんかった。ジャイ子というのは本名ということである。

 

親はどういうつもりでそんな名前をつけたのか? 巨人軍ファンなのか? それともジャイアント馬場のように大きく育ってほしいという願いからか? はたまた、亀田興毅の「どんなもんジャイ!」からとったのか? 理由はどうあれ、よく市役所が受理したものだ。

 

ジャイ子の話は横においとくとして、ジャイアンというあだ名は、日本では、子供から大人まで慣れ親しんだビッグネームである。彼の写真をパネルにして、「この人の名前は?」ときくと、しらない人をのぞけば、ほとんどが「ジャイアン」と答えるだろう。ところが、ドラえもんの主要キャストで、一人かたくなに、彼のことを「たけしさん」と呼んでいる少女がいる。そう、誰あろう、しずかちゃんだ。

 

なぜ、彼女は「ジャイアン」とよばないのか? 気に入らないのか? あだ名で呼べない症候群なのか? しょっちゅう、いっしょに冒険してるんだから、気安く呼べばいいものを・・・と、ここまで書いてきて、たった今、彼女はドラえもんのことも「ドラちゃん」と呼んでいることを思い出した。

 

つまり、しずかちゃんは①相手をあだ名で呼ばない②相手に対して「さん」や「ちゃん」と敬称をつける、という2点をポリシーとしていることが考えられる。

 

確かに彼女のポリシーは、呼び名における不必要なトラブルを避けることには非常に有効である。たとえば、自分では結構仲良くなったなあと思った相手に「何いってんだよ~。田中~」と言ったところ、「てめえ、呼び捨てにしてんじゃねえぞ!」とぶちぎれられて、ケンカになることは多々あるし、また、いくら慣れ親しんだあだ名でも、本人は意外と内心、傷ついているケースもある。しずかちゃんのポリシーならば、それで、もめることはないだろう。

 

しかし、逆に「さん付けはやめてよ。よそよそしいよ」と相手に要求されたとき、しずかちゃんシステムは、非常に厄介になるのではないか。

 

たとえば、しずかちゃんが、みちょぱと友達になったとする。当然、しずかちゃんは彼女のことを「美優さん」あるいは「池田さん」と呼ぶであろう。「もう~、よそよそしいよ~。『みちょぱ』でいいよ~。しずかっち~」と、みちょぱが言っても、「いいえ。そういうわけにはいかないわ。美優さん」と断るだろう。「あだ名がいやなら、『美優』って呼んでよ。私も『しずか』って呼ぶから」と言っても、「いいえ。そういうわけにはいかないわ。美優さん」と断固、拒否るだろう。「『美優』って呼んで!」と怒り出すみちょぱ。「絶対、呼ばないわ。美優さん」としずかちゃん。「呼べ!」と命令するみちょぱ。「嫌よ。美優さん」としずかちゃん。

 

こんなやりとりを10分ほど、繰り返した後、「もういい!」と叫んで、みちょぱは席を立つだろう。そして、「なんだよ、あいつ! 絶交だよ絶交!」と声を荒げながら、テレ朝の廊下をどしどしと歩いていくのだろう。しずかちゃんのように、育ちも良くなく、品性も備わっていない、みちょぱなら、きっとそうするにちがいない(僕の中のみちょぱのイメージ)。

 

かたくなに、ジャイアンのことを「たけしさん」と呼び、みちょぱのことも「美優さん」と呼び続ける彼女の姿勢は、地球に住み始めて、もう何年もたつのに、いまだに、悟空のことを「カカロット」と呼び続ける、ベジータと同じくらいの、鉄の意志を感じられる。

 

しずかちゃんはもしかしたら、サイヤ人なのかもしれない。

 

 

うがい薬を買いに行った話

昨日、大阪の吉村知事が「コロナには、うがい薬が効きまっせ~。うそみたいな話ですけど、ほんまでっせ~」と記者会見で言うとった(こんなコテコテの大阪弁ではなかったが)。そのニュースを見た僕は、早速、休憩時間に、うがい薬を買いにいくことにした。すると同僚の木下さんに「私の分も買ってきて」と頼まれた。

 

「OK!」と、もうおっさんなのに、ローラのような口調で返事した僕は、急ぎ足で会社近くのドラッグストアに向かった。ところが、同じことを考える人は多いもんで、うがい薬は1個も売ってなかった。棚のところには「うがい薬・品切れ」の紙が貼ってあった。近くの客が店員さんに「うがい薬はもうないんですか?」と聞いていた。店員さんの説明によると、個数制限してなかったので、一人の客が大量に買っていったとの事だった。

 

会社に戻って、木下さんに「ありませんでした」と言うと、「本当?自分の分だけ買ったんじゃないの?」と疑うので、「何も持ってないでしょほら」と手のひらをヒラヒラさせたうえ、ポケットもカラだというとこを見せると、「ふん。駅のロッカーに入れてくりゃ、アリバイ工作できるじゃん」と言うので、「だったら見に行ってくださいよ。うがい薬の棚、ガラガラですよ」と言うと、「何? それ、もしかして、うがいのガラガラとかけたの?」と聞くので、「そ、それはまったく意識してなかったんですけど、とにかくないものはなくて・・」と説明を続ける僕に、木下さんは「もういい!」と吠えるや、「ガラガラー、ペッ!」と、エアーうがい薬を僕の足元に吐きつけ、去っていった。

 

なんて女だと、怒り心頭になったが、それ以上に腹立つのは、やはりうがい薬を買い占めた人間だ。春先のマスク不足の時もそうだったが、世の中には何故、こういう連中がいるのか不思議でならない。自分が買い占めることによって、本当にそれを必要としている人に、行き渡らなくなることを彼らは想像できないのだろうか? 自分のはしたない行動が、多くの人を苦しめていることに気づくべきだ。今一度、自分の胸に手を当てて、よく考え、じっくり反省の日々を送ってもらいたい所存である。

 

以上、うがい薬の買い占めに失敗した男による、何の説得力もない演説でした。 

 

 

ナギサさん鑑賞会

今週の「ザ・世界仰天ニュース」で清原のことをやっとった。高校時代から「怪物」とよばれ、球界のスーパースターとして、一時代を築いた彼がなぜ、覚せい剤に手を染めてしまったのか? 僕は事務所のテレビで非常に興味深い気持ちで見ていた。

 

ところが、そこに課長がやってきて、「清原? しょーもねえ」と言うや、僕の許可なく、『私の家政夫ナギサさん』にチャンネルを変えてしまった。

 

「人が見とんのに何勝手に変えとんじゃボケぇ! わしゃ『ナギサさん』は家でタイマー録画してきたんじゃ! ここで見たら、家帰ってからの楽しみなくなるやろ! ヘボんだらあ!」と、心の中で清原ばりに叫んだ僕であったが、いかんせん、相手の立場が上司なので、「そうっすよねえ。シャブ原の話なんてどうでもいいっすよねえ」と、心とは裏腹のことを言ってしまった。

 

今週の『ナギサさん』はこんな内容であった。①ナギサさんが独身だということがわかった②懇意にしている医師の肥後がメイに結婚を前提とした交際を申し込んだ③同業種で隣人の田所とブランコに一緒に乗って距離が縮まった。

 

今後の展開としては、メイが肥後か田所かで悩み、それをナギサさんがアシストするなりして、結果、田所と結婚する。あるいはナギサさんのやさしさにほだされたメイが、まさかの年の差結婚する。のどちらかが予想される。競馬でいうならば、「(本命)田所(穴馬)ナギサ」と言ったところだろう。

 

ところが一緒に見ていた課長は「たぶんメイは肥後と結婚するな。医者は食いっぱぐれないからな。田所は会社員だからいつ首になるかわかんねえし、ナギサも大した年収ねえだろ」と言った。続けて「次のうち、どの職業の男性と結婚したいですか?①医者②会社員③家政夫」と女に質問してみ。全員、①を選ぶだろ。これで②や③を選ぶわけねえじゃん。ドラマじゃあるまいし」とぬかした。

 

「バカヤロー! これはドラマだあ!」と家政夫のナギサさんならぬ、大島のナギサさんばりに心の中で吠えた僕であったが、いかんせん相手の立場が上司なので、「そうっすよねえ。その方がメイも幸せになれますよねえ」と、またもお追従してしまった。

 

アホとドラマを見ると、疲れるので、来週は家で静かに見ようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

あおり男の更生

あおり男の裁判が始まった。あおり男というのは、もちろん、昨年の8月、テレビで何度も何度も繰り返し流され、お茶の間を恐怖のどん底に叩き落した、例のドラレコ映像の男のことだ。このブログにも、その映像を貼り付けようとしたが、見事に失敗した。

 

あの事件以降、ドラレコの売り上げが飛躍的に伸びたそうだ。ドラレコ製造会社の社長は「得した人、損した人」で分類するなら、まちがいなく「得した人」である。では、損した人とは誰か? あおり男に殴られた会社員は当然該当するが、実は、もう一人いる。それは誰あろう、僕である。

 

理由。僕の姉は運転免許取得してから、20年、ほとんど運転したことのないペーパードライバーだ。その姉は買い物や遠出をする際、必ず僕に「連れていけ」と命令する。「姉ちゃんも免許あるんだから、練習してみなよ」と、ことあるごとに僕は言ってきたのだが、そのたびに姉は「まあ、そのうちね」とか「その気になったら」とか「いつかはやるけど、今じゃないね」と言葉のバリエーションたくみにごまかしてきた。

 

ところが去年の7月、なんの心境の変化があったのかしらないが、「そろそろ私も運転してみようかな」と言い出したのである。これは思いもよらぬ朗報である。で、まあ、いきなり路上は無理なので、スーパーの駐車場とか、近所の空き地みたいに広々した所に、僕が連れていっては、毎回5分程ではあるが、週1くらいで練習をするようになった。おそるおそるハンドルを握りながら、前進したり、切り返したりする姉を見て、「まあ少しずつでも慣れれば、いずれ僕も運転手から解放されるだろう」と思ってた。その矢先に、あの事件である。

 

練習開始1か月後にテレビで流された、あの恐怖のドラレコ映像を見て以来、姉は完全に運転を拒否るようになったのだ。

 

「せっかく練習をはじめた途端によオ! あんな映像を流されりゃあよオ! そりゃあビビッてハンドルも握れなくなっちまうよオ! 恨むんなら、あのあおり男を恨めよなア!」と言い出したのである。姉の頭の中に「運転する→あおられる→殴打される→ガラケー女に撮影される」の公式が見事にインプットされてしまったわけである。本当に迷惑な話である。

 

そして、その迷惑の原因を作ったあおり男が、驚くべきことに、おとといの裁判でなんと「反省した。しかし、私はまた運転がしたい。もう1度免許を取得したい。今度は模範的な運転手となりたい」と、発言したのだ。あんな無茶苦茶をした人間でも再び免許を取得できるとは!? どうなってんだ!? 日本の法律!? といくら怒ったところで、近い将来、あおり男は路上に復活するのである。

 

そうなったときはどうなるのか。そりゃ、僕のように気の弱いドライバーなら、あおり男が運転してるのを見たら、「やべえ」とソッコーで道は譲るだろう。でも中には、義憤にかられてる運転手だっているはずである。「あいつ、本当に反省したのか? いっちょためしてやれ」と、わざとあおり男の運転する車に幅寄せや割り込みをする輩も出てくるはずだ。その時、真価を問われるのは、あおり男である。

 

「俺はもう生まれ変わったんだ。模範的な運転手になるんだ」とガマンできれば、反省の言葉は本当だろう。しかし、うわべだけの反省だった時は大変である。プッツンした、あおり男はアクセルを踏み込み、あおった車の前にまわりこみ、急停車! 「ぶっ殺すぞこのガキ!そんなに地獄に行きてえのか!」と吠えるや、運転手に突撃して、必殺の窓ガラス越しパンチを1発! 2発! 3発! 4発! 5発! 翌日の羽鳥の番組で「あおり男がまたやりました」と、トップニュースを飾る・・ということになりはしないか。

 

そうなった時、僕は永遠に姉の運転手から抜け出せなくなってしまうのである。あおり男の心からの反省と更生を、心から願うばかりである。